イメージと意識の違い
私は瞑想している時、亡くなった祖母が出てきたことがあります。
祖母は夫である祖父と一緒にいました。
私はをそれを見て
『死んでも一緒にいるなんて良いね』
と話しかけました。
すると祖母は
『あなたもそうなれるよ』
と言ってくれました。
大きな別れを迎えている時期だった私はその言葉を聞いて泣いていました。
『死んでも心配して見に来てくれる。有難いなぁ』
そんな想いが溢れて涙が出てきたのです。
私はこの体験を通し、『イメージすること』と『意識すること』の違いを理解しました。
この話はただの『妄想』だと思う人がいるかしれません。
しかし、この体験は明らかに実感を伴う体験でした。
祖母の存在と想いを確かに感じ、私の体の状態が変化した実感があったのです。
この実感があったから私の感情や魂が揺さぶられて涙が出てきたのです。
私は感動する映画やドラマをみても泣いたことがありません。
そんな私が涙を流してしまうほど確かな実感を伴う体験でした。
スポーツでイメージすることの大切さはよく指摘されます。
しかし、本当に大切なのはイメージを超えて意識することだと思います。
意識することが出来れば、自分の実感として何か感じるものがあり、自分自身の体が変化します。
冒頭で書いた私の体験が正にそうでした。
この実感があったからこそ、私はこの体験を単なる『妄想』ではないと思っています。
少なくとも私にとっては『妄想』ではないのです。
誰かが
『親しい人が亡くなるとなぜ悲しいのか?
人は親しい人と会っている時、その人と会ってる時にしか出てこない自分の人格のようなものある。
親しい人が亡くなるということは、その人と会っている時に出てくる人格に二度と会えなくなってしまうから悲しんで泣くのだ』
と言っていました。
瞑想の中で祖母にあった時、私は孫としての自分自身を確かに感じたのです。
今回の参考文献です↓
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